テレビドラマ『世にも奇妙な物語(’13 春の特別編)』を観て思うこと。
いい作品って「な~んか分かる感」が大事。
な~んか分かる状態
『世にも奇妙な物語(’13 春の特別編)』を久々に観た。全体的にどの話も面白かったのだけれど、『不死身の夫』の話の展開がちょっと残念だった。
なぜなら、話の終盤で “事の過程” を「細かく説明」しすぎてしまったからだ。
そうなると、もう、ただの「数学の答え合わせ状態」。頭の中に浮かんでいる展開を追ってるだけ……。話としては面白かっただけに、“すごくもったいなく” 感じてしまった。
ドラマとか映画に限らず、なにか作品に触れた際「細かい説明」がなくても、全体的なイメージで「な~んか分かるな、コレ」って時がある。その状態は、言うならば「作品と “同調” したり “共感” している状態」だ。『ヱヴァンゲリオン』のシンクロみたいなことかも(笑)。
だから「な~んか分かるな、コレ」で、とどめておく “ちょうど良いバランス” が「いい作品の条件」だなと思った。
人それぞれの答え
「な~んか分かる感」でとどめておけば、数学の答えみたいに答えが 1 つじゃなくて、「人それぞれの答え」ができる。
100 人いたら、100 通りの答えだ。そうすることで作品に “広がり” がでる。
逆に、答えを 1 つに絞った作品「推理ものやパズルものなど」ならどうか??
考えるに答えの裏付け以外は、ところどころにやはり「な~んか分かる感」がひしめいている(ハズ)。もし、「細かい説明」ばかりしてしまったら、答えを出すのに妨げになってしまうからね。
……ま、とりあえず、この文章でボクが言いたいことが「な~んか分かる」と思って頂ければ OK かも。なひぁ(笑)。
経験値を、それぞれ獲得した!
いい作品って「な~んか分かる感」が大事。「な~んか分かる感」でとどめておけば、数学の答えみたいに答えが 1 つじゃなくて、「人それぞれの答え」ができる。
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